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 「俺は猫である」



 俺は猫である。

 名は「コロネ」。

 俺の役目は、この店「PANKAPAパン」の入り口の横で、この家の家族を守る事である。

 それが俺を救ってくれた、この家族に出来る唯一の恩返しだからだ。

 俺が生まれた時には母親も兄弟もいたのだが、気が付くと「トネリコ」の森でニャーニャー泣いていた。

 どうやら寝ている間に母親や兄弟と引き離され、捨てられたらしい。

 生まれて間もない俺に出来る事は、母親を呼ぶ事しかなかった。

 何故か身体が震えていた。

 その震えが止まらない。

 その内、空から水滴が落ちてきた。

 まあ、それは唯の「雨」だったのだが、その時の俺には何か怖ろしい物に感じた。

 空は暗く、飛んでいた生き物(鳥)の姿も消えていた。

 近くにあった巨木(大空の樹)の下に逃れた俺は、母親を呼び続けた。


 どれ位、時間が経ったのだろうか。

 いくら母親を呼んでも、母親は来てくれない。

 お腹も空いていた。

 雨に濡れ、身体も冷え切っていた。

 その時、今まで止まらなかった身体の震えが止まった。

 しかし、その途端、今度は眠気が襲ってきた。

 もう楽になろう。

 そう思い、全てを天に委ねようとした時だった。

 俺は、何かの気配を感じた。

 しかし、それは母親の匂いではなかった。

 そこに現れたのは母親ではなく、人間の子供だった。

 だが、全てに疲れきっていた俺は、その人間の子供に全てを委ねる事にした。

 それが、この店のご主人の娘「咲」との出会いだった。

 もう五年も前の話である。


 それ以来、咲とその家族を守るのが俺の役目、日課となった。

 俺は毎日、店の入り口の横のこの場所で、咲と家族を見守っている。

 決して、ここが家で一番日当たりのよい場所だからではないぞ。

 そう言えば、この店の事を紹介するのを忘れていた。

 この店は「パン」という人間の食べ物を作って売っている店である。

 どうやら、町でも評判の店の様だ。

 昼や夕方の時間帯は、いつも混雑している。

 俺も鼻が高い。


 おっ、この音はご主人のお帰りだな。

 ご主人が乗った「車」と言う乗り物が俺の前を横切り止まった。

 あの車という乗り物は、寒い時期に重宝する。

 寒い時期には、ご主人の使い終わった後の車の下は、俺の休憩スペースだ。

 寒空の下で冷え切った身体を温めてくれる。


 「ただいま~。おっ、コロネ、店番ご苦労さん」

 車から降りてきたご主人に向かうと、ご主人が俺を称えてくれた。

 ご主人は、俺の事をよく分かってくれている。

 人間の中で、一番の理解者だ。

 五年前、咲に連れられ、初めてこの家に来た時も、ご主人は一番に俺を受け入れようとしてくれた。

 しかし、この店が客商売という事もあり、結局俺は余所の家に引き取られていく事になろうとしていた。

 だが、ある事が切欠で、ご主人は俺を受け入れる決心をしてくれたのだ。

 それ以来、この家でたった二人の男同士という事もあり、今では俺の一番の理解者となっている。


 実は、このご主人、様々な言葉に精通している。

 先程の車と言う乗り物にもよく話しかけている。

 この間も車に向かって「今日も一日ご苦労さま」と労をねぎらっていた。

 俺には車の声は聞こえないが、多分ご主人には聞こえているのだろう。

 しかし、人間がみんなそうなのかと言うと、そういう訳でもない様だ。

 ただ、猫の言葉は苦手の様で、時々勘違いされて、正直困ってしまう事もあるのだが。


 「お帰りなさい。じゃあ、店番お願いね。坂の上の鈴木さん家(ち)のおばあさんにパン届けてくるわ」

 店の中から、奥さんの声が聞こえた。

 しばらくすると、奥さんが店の裏から「自転車」という乗り物に乗って俺の前を通った。

 「コロネ、お父さんと一緒に店番お願いね」

 そう俺に言って出掛けていった。

 俺は返事をし、奥さんを見送った。

 どうやら、坂の上に住んでいる鈴木さんという人間の家にパンを届けるらしい。


 この奥さんも、凄い人間だ。

 ご主人と共に店を切り盛りし、家事を行い、二人の娘を育てるという、幾つもの役割をこなしている。

 朝、誰よりも早く起きて、夜、誰よりも遅く寝ている。

 俺も奥さんには頭が上がらない。

 猫も人間も女性は凄いなと、つくづく感心するばかりだ。


 「ただいま~」

 奥さんと入れ替わりで「ランドセル」という入れ物を背負った女の子が帰って来た。

 ご主人の下の娘「みのり」だ。

 「ただいま、コロネ」

 そう言って俺の頭を撫でる。

 この家は、ご主人と奥さんも店の仕事で忙しく、姉の咲も「ソフトボール」という玉遊びに夢中で、なかなかみのりを構ってやる事が出来ない。

 だから俺は暇を見ては、みのりの遊び相手になってやっている。

 俺は「猫じゃらし」で喜ぶ様な歳でもないのだが、みのりの為、仕方なく付き合ってやっているのだ。

 まあ、嫌という訳ではないけどな。

 陽が大分傾いた。

 先程、奥さんも戻って来た。

 この時間は、店に来る人間も少ないので、少し眠るとしよう。

 猫は、いつも寝ている様に見えるかもそれないが、それは大きな間違いである。

 これが一番体力を温存出来る、効率の良い姿勢なのだ。

 いつでも臨戦態勢を取れる様にしているのである。

 決して、眠っている訳ではないぞ。

 まあ、少しはな。

 「よ~し!コロネ!ホレホレ、シュッシュ!おいコロネ。コロネや~い」

 一眠りしようとした時に、その鬱陶しい声で眠りを妨げられた。

 面倒な奴が来た。

 こいつは俺が喜ぶとでも思っているのか、いつも猫じゃらしを俺に差し出す。

 俺を幾つだと思っているんだ、全く。

 みのりの様に相手をする義理がある訳ではない。

 無視するに限る。

 「あ~、健太お兄ちゃん!」

 みのりが、こいつの名前を呼んだ。

 「よお!みのりちゃん」

 「お姉ちゃんはまだ帰ってないよ」

 「分かってるって。今日は母ちゃんに頼まれたパンを買いに来ただけだからよ」

 「おっ!いらっしゃいませ~」

 みのりにそう言われ、一緒に店の中に入って行った。


 こいつは、どうやら咲の事を好いているらしいが、なかなかその事を咲に切り出さない。

 猫の世界では、女性に対しては男の方から積極的にアプローチするものだ。

 人間の世界では違うのか、見ていて情けなくなってくる。

 好きなものは好き、嫌いなものは嫌い。

 単純な事である。

 人間とは全く面倒な生き物だ。


 しばらくすると、そいつがパンの入った袋を持って店から出てきた。

 「じゃあね、健太お兄ちゃん!」

 「じゃあな、みのりちゃん。じゃあな、コロネ!」

 一応、こいつも客なので、尻尾だけ振ってやった。


 それから小一時間立った頃、元気な声が響いた。

 「ただいま~!ただいま、コロネ!」

 上の娘の咲が帰って来た。

 俺も挨拶を返す。

 咲は俺にとって命の恩人だが、どうも最近、俺の事を邪魔者扱いする事が多い。

 この前も店の看板を置く邪魔になると言われた。

 だが、それは譲れない。

 断固として拒否した。

 咲は、いい娘なのだが、年頃の娘は扱い難いものだ。

 昔は、あんなに可愛かったのに。


 そう言えば、以前「目覚まし時計」という機械を止めたという事で、こっぴどく怒られた。

 あの目覚まし時計という機械は朝から煩い音を出す。

 それも耳障りな音だ。

 陽が昇れば起き、陽が沈めば眠る。

 人間にとっては、それが普通なのではないのか。

 まあ、我々猫はその逆なのだが。

 人間は、「時間」という物に縛られて生きているかの様に見える。

 時間に支配されて生きている、まるで「時間の奴隷」だ。

 見えもしない時間という物に振り回され、怯え、生きている。

 我々猫よりも何倍もの寿命があるというのに、忙しい話だ。


 それで思い出した。

 最近、この家に一人の居候が増えた。

 そいつは「フラッピ」と言うヤツだ。

 猫とも人間とも違う姿をしているが、そんな事はどうでもいい事だ。

 ただ、こいつは新入りのくせに、どうも態度がでかい。

 何かと生意気なのだが、それでいて何処か憎めない。

 不思議なヤツだ。


 そう言えば、フラッピがこの家に来た頃に、咲に新しい友達が出来た。

 名前は「舞」と「チョッピ」と言った。

 この舞とチョッピは、二人ともいい娘だ。

 咲も少し見習った方がいいと思うのだが。

 この舞という娘は画を描くのが好きで、この間も俺の画を描いてくれた。

 画というものは、こういうものなのかと感心したものだ。

 以前、咲が俺を描いてくれた時は酷いものだった。


 我々、猫の世界には画に関して伝わる言葉がある。

 「昔し以太利(イタリー)の大家(たいか)アンドレア・デル・サルトが言った事がある。画をかくなら何でも自然の物を写せ。」
 「天に星辰(せいしん)あり。地に露華(ろか)あり。飛ぶに禽(とり)あり。走るに獣(けもの)あり。池に金魚あり。枯木(こぼく)に寒鴉(かんあ)あり。」
 「自然はこれ一幅の大活画なり」と。


 咲が猫の言葉を理解出来るのであれば、是非伝えたい言葉なのだが。

 友達と言えば、気になる事が一つある。

 咲と舞に最近出来た二人の友達なのだが、不自然な点が目に付く。

 その二人は「満」、「薫」と呼ばれていた。

 何が不自然かと言うと、満と薫は咲や舞と同じ制服を着ているのだ。

 人間の世界では、咲の年頃になると同じ世代は同じ服を着て学ぶという決まりがある。

 何でも「中学校」という大勢の人間の子供が集まり、学ぶ場所での決まり事なのだそうだ。

 それなのに満と薫は、咲や舞と同じ服を着ているのだ。

 まだ、小さな子供だというのに。

 それも、みのりより小さな子供だ。

 確かに、身体の大きさだけを見れば咲や舞と同じだが、その心は幼い。

 しかし、咲や舞にはそれが分からないのか、二人をまるで同じ歳の様に扱っている。

 俺もこの店に来る様々な人間を見てきたが、この二人の様な人間は見た事がない。

 それに少しだけ、嫌な感じがする。


 だが、この二人は咲と舞の友達だ。

 咲と舞、二人の見る目を俺は信じたいと思う。

 俺の杞憂で終われば、それでいい。


 おっ、そんな事を考えている間に陽もすっかり暮れてしまった。

 そろそろ場所を変えるとするか。

 決して、ここが寒くなったからではないぞ。

 今日も無事一日が終わりそうだ。

 この家族には、こんな平凡な一日が永遠に続けばいいと思う。


 俺は人間が憎かった。

 生まれて間もない俺を母親から引き離し、森に置き去りにした人間が憎かった。

 しかし、咲は俺の為に泣いてくれた。

 何も関係のない俺の為に泣いてくれたのだ。

 五年前、俺は咲によって命を救われた。

 だが、咲が救ってくれたのは俺の命だけではなかった。

 その涙によって、俺の心をも救ってくれたのだ。

 もし、この家族の平穏を破る者が現れれば、俺は喜んで盾となろう。

 それが咲に、この家族に、命を、そして心を救ってくれた事に対して俺が出来る唯一の恩返しだからだ。


 よく人間は、犬は飼い主に忠実で、猫は自分勝手と言うが、それは大きな間違いである。

 俺には犬の事は分からないが、猫の事はよく分かる。

 確かに、猫は飼い主に忠実ではない。

 何故なら、猫には飼い主などいないからだ。

 猫にいるのは家族だけである。

 だから、俺は自分の家族を守っている。

 明日もこの場所で、そして、いつまでも。




 キャスト
 コロネ/声:渡辺英雄

 日向咲/声:樹元オリエ
 日向大介/声:楠見尚己
 日向沙織/声:土井美加
 日向みのり/声:齋藤彩夏

 星野健太/声:竹内順子





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